追悼か、再生か
過日、NHKBSは、フォーク・クルセダーズのコンサートを再放送していた。思わず画面に食い入った。加藤和彦さんは、「不帰の客」になった。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に曲を書いて歌っていたことは、初めて知った。
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宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に曲を書いて歌っていたことは、初めて知った。
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コメント (0)きのう12月15日付のしんぶん「赤旗」文化欄に登場のひらたよーこさんは、たしか平田陽子という俳優だったよなぁ、と思っていたらやはり同一人物でした。
劇団「青年団」の舞台で何回かその演技も観たことがある。青年団を主宰する平田オリザは、話し言葉を舞台にのせて元気だ。ひらたよーこは、詩や短歌を音楽にのせて活動しているらしいが、まだ生で聴いたことはない。
現代詩を歌う異色バンド「あなんじゅぱす」に触れてみたいと、また一人の人間の多面的な可能性を垣間見たような記事でした。
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コメント (0)生誕100年の松本清張なんてもう膨大な作品群なので、読み直そうとしてもずいぶん時間がかかる。
一昨年生誕100年の井上靖もまた同じくなかなか追いつけない。
池田亀鑑も緒に就いたばかり。
日南町にゆかりのある作家や研究者は、ほかにもたくさんいられるが、とりあえずこの3氏の作品を読破しようと意気込んではいるがどうなることやら。
使い古されてはいるが、新鮮なことば「文学はこころのビタミン」でゆこう。
ブログ賀茂街道から2に、わたしと「池田亀鑑」のであいについて紹介していられます。
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コメント (0)きょうは午前、10人ほど集り、井上靖文学碑の周辺を掃除をする。剪定や植栽もする。こうして集えることの楽しみについて、「野分の会」代表があいさつされる。
間もなくこのあたり一面は、蒼白くなる。
井上靖の大好物のひとつがこの「ぼた餅」あるいは「おはぎ」。もちろん羊羹も大すきだったらしい。いずれも砂糖と小豆、あるいはもち米で作るのだが、小豆ともち米はあれども、戦前の砂糖はとても貴重品。おいしくいただいた。
ぼた餅を食べると、砂糖をこっそり舐めていた時代のことを思い出す。
この碑文をいつも朗誦する。井上靖の直筆によるものだ。井上靖は、詩集『北国』で、生誕地・北海道旭川のことを「星の植民地」と表現しているが、ここ日南町福栄では「天体の植民地」と喩えた。いずれも夜空からは美し星や月明かりが降り注ぎ、空襲のない平和な場所のことを指している。
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コメント (0)わたしの好きな劇作家の一人である平田オリザさんが政権交代後、内閣官房参与となられた。文化行政や演劇教育などを担当するらしい。
平田氏は、劇団「青年団」の主宰者で、東京駒場で「こまばアゴラ劇場」も経営している。
「青年団」のホームページで参与就任についての考えを述べている。こちらから
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コメント (0)きょうは「松本清張生誕100年記念講演会」にでかけて、日南町矢戸と清張作品についてのお話を聞く。講師は、小林慎也氏 (梅光学院大学文学部特任教授)で、平明で分かりやすかった。
『父系の指』や『半生の記』などの作品で清張の父峯太郎と日南町矢戸については書かれているが、その後日南町の関係者により清張さんに「日南町を舞台にした小説を書いてほしい」という要請はされてはいたが、とうとう氏はリアルに小説の舞台として書かなかった。あれだけ「日南町を書く」と約束していたのにである。
その答えが見えてきた。それは、『砂の器』の舞台を島根県・亀嵩とすることにより、父の出生地・日南町から出奔して二度とふるさとへ帰ることがなかった事実を、「仮構」で書くことにより、より物語を膨らませようとしたことによるものだ。
事実、『父系の指』や『半生の記』にも「仮構」がある。それが小説の面白さで、現実のままを書いたらかえって魅力が半減する。
日南町総合文化センターでは、図書館やホワイエなどで企画展が開かれている。
日南町矢戸の松本清張文学碑の碑文の原書。清張さんは、「父峯太郎の目になって父の郷里に帰りたい」と語っている。
1966年、日南町中央公民館落成記念講演会に来町されたときの書。
「日南の山ふところは記紀の國」 清張
筆でしたためていられる清張さん。
この色紙に書かれた書もまた清張さんそのもの。
「美しい文章より真実の文字を書きたい」 松本清張
絵も書も秀逸。
清張さんが他界される前の年の写真。清張さんは、この年にも「日南町を舞台に小説を」との要請を受けていられる。向かっていちばん左に座っているのは、今は亡き日本共産党町議の絹谷誠義さん。その昔、この写真と、清張さんサイン入りの『草の径』を本人から見せてもらったことがあった。
資料展示してある写真を写したのでちょっと画質は落ちるが、とてもとても貴重な写真となる。ここは東京の般若苑
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コメント (0)下の番付表は、15年前の1994年4月に発行された『文藝春秋』の創刊1000号記念特集号の紙面からコピーしたものだ。
同誌は、同誌への執筆回数をこのような番付表にして記念特集号の一つに編んだ。
菊池寛は、同誌の創刊者だから大横綱になっているのに驚かないが、次の東西両横綱は、松本清張と井上靖になっている。これもまた両氏の大衆性を表わしているように思え、ずいぶん納得したものだ。
この番付表が掲載されたとき、すでに両横綱は逝去されていた。
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コメント (0)毎年この時期に発行される「にちなん文化」誌は、30号を重ねる。清張や太宰の生誕100年で記念のイベントも多く、著名な書き手のことを取り上げることと合わせて忘れてならないのが、地方で出版される「本」のこと。
さきごろ米子の今井書店が「菊池寛賞」を受賞することが決まったが、理由は地方での本屋さんの取り組みが高く評価されたことだ。そのなかに地方出版の文化活動がある。
そういえばその昔、町内の同行者でつくった『劇団あざみ』が米子市公会堂で自主講演をするときに、現在今井書店の会長であられる永井伸和さんにはたいへん協力していただいたことが記憶に鮮明だ。
その際、「日南の山の中で劇団作って、米子の子どもたちに観せたいと若者ががんばっているのは、とてもいい文化ぶんかブンカ」と激励され、会長のご自宅で餅をついたり舞台稽古をしたりしたものだ。
あれは1979年だから、ちょうど30年前になる。「なちなん文化」の号数と符合する。
というわけで、ゆっくり読んでみたらとても内容の濃いこいものだ。俳句も川柳も短歌も詩も随筆も写真も絵画も書も、みんな書き手の「人の顔」がある。
地方出版文化として貴重な一冊である。
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コメント (0)あぁ、文化の秋には文学者は多忙である。あちこちから招待にあずかる。池田亀鑑先生もまた、11月3日の文化の日に「池田亀鑑文学碑を守る会」がお世話になる。
写真の略歴の通り1956年には他界されているが、このたび略歴を石碑として残すことになり、その除幕式を行う。
この文学碑、「学才にあらず 閥派にあらず たゞ至誠にあり」は、私の母校・旧石見東小学校の校門坂を上ったところにある。
私は、この碑文にずっとココロ打たれつづけている。
1959年、中央公論社から随筆集「花を折る」が刊行され、生誕の地・神戸上のことについて折々述べられている。
11月3日の除幕式を待つのみであるが、周辺の大掃除も計画されている。
ちなみに、東海大学には、池田亀鑑図書館もあるようだ。
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コメント (0)日本共産党 日南町議 久代安敏[くしろ・やすとし]
鳥取県日野郡日南町神戸上2558 〒689-5662
TEL/FAX 0859-83-0645 mail:yasu2001@sea.chukai.ne.jp
[2006年7月17日公開/以前のサイトから通算]
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