「池田亀鑑文学碑を守る会」としても、うれしい情報。
日南町での「もっと知りたい池田亀鑑と源氏物語」の講演会(2010.3)から、その題名で刊行された本が、日本図書館協会の選定図書になったという情報。
「池田亀鑑文学碑を守る会」としても、うれしい情報。
日南町での「もっと知りたい池田亀鑑と源氏物語」の講演会(2010.3)から、その題名で刊行された本が、日本図書館協会の選定図書になったという情報。
新しく創設された「池田亀鑑賞」の主催団体である「池田亀鑑文学碑を守る会」(会長・加藤和輝)の事務局を担当していますので、お知らせしたいこともいろいろあるのですが、今回創設にあたり、いろんな団体に後援していただいていますが、朝日新聞鳥取総局からは、来年3月10日の授賞式に、副賞を総局長から授与されるとのこと。
朝日新聞鳥取総局が掲載した池田亀鑑賞の記事(6月5日)⇒http://mytown.asahi.com/areanews/tottori/OSK201106040087.html
政治活動とは、何の因果関係もないのだけれど、わたしの家から歩いて2分の所に「池田亀鑑文学碑」があることから、一昨年設立した「池田亀鑑文学碑を守る会」の事務局長を担うことになり、あれこれ池田亀鑑や源氏物語のことをもっと勉強してみようかなと思って、浅く広くやっているうちに、とうとう「池田亀鑑賞」の設立という画期的というか、歴史的というか、頭の中が千年の歴史を登ったり下ったりでやや錯綜はしているような気がしているところなのだけれど、それでも池田亀鑑的に「たゞ至誠にあり」で楽しくやってみようと思っている。
池田亀鑑賞のホームページ⇒ http://www.shintensha.co.jp/sp/ikeda_kikan/
そこで、池田亀鑑文学碑を守る会の事務局長として次のような一文を寄せてみた。
池田亀鑑生誕の地(鳥取県日野郡日南町)から、没後55年となる今年、新たに「池田亀鑑賞」が誕生することになりました。池田亀鑑文学碑の『学才にあらず 閥派にあらず たゞ至誠にあり』の碑文が文字通り甦生されて、中古古典文学研究などの奨励となり、源氏物語千年のかがやきのような光彩を放つ賞として末永く継承したいと考えています。「池田亀鑑賞」創設にあたって、選考委員をはじめ後援・協賛いただいた関係各位に深謝いたします。
池田亀鑑文学碑を守る会 事務局長 久代安敏 2011.5.24
きのうは、池田亀鑑の祥月命日だったので、池田亀鑑文学碑を守る会の世話人で碑前祭を行い、在りし日を偲ぶというか、偉業を振り返ってみるというか、昭和31年に東京で歿していられるので、もちろん昭和30年生まれのわたしなど知る由もなかったのであるが、昨年8月に「池田亀鑑文学碑を守る会」というのを設立して、碑の建つ石見東小学校がなくなっても、しっかり引き継いでいこう「学才にあらず 閥派にあらず たゞ至誠に在り」という思想を。
来年歿後20年となる作家の井上靖が「11月の星が…夜空一面にかか」って北国の、生誕の地旭川のことだと思うのだけれど、「星の植民地」と表現していたが、とうとう今年もあとひと月となった。
星は、12月の方がもっといい光になるのだろうが、なんだか気ぜわしくなるのがちょっと困る。
或る新聞というか、しんぶん「赤旗」の日刊紙(11月29日)なんだけれど読んでいたら、『朝の風』という小さな囲み記事なのだけれど、いつも目を通すのだけれど、「世界平和アピール七人委員会」が、発足55周年の講演会を開催したということから、
「あぁそういえば、井上靖も日本ペンクラブの会長を務めていたころからずっと亡くなるまでこの、「世界平和アピール七人委員会」の委員だっよなぁ」と思い出し、
井上靖の命日は1月29日だけれども大雪が降ったら出かけにくいということで、つい先日28日に井上靖文学碑で小さな碑前祭を、氏の大好物だったぼた餅をお供えして、碑文をみんなで朗読して、「天体の植民地」のことを考えながら、
井上靖の初期の短編『野を分ける風』を読み合わせて、
井上靖が好んで使った「野分の風」は、悲恋というか愛を。星とか天体とかの「植民地」は、平和というか非戦というか、そんな井上世界ではなかったのだろうかと解釈している。つまり愛と平和を求めつづけた作家という感じに。
今年4月9日に亡くなった作家井上ひさしの妻である井上ユリさんのお父さんの米原昶(元日本共産党衆院議員・故人)の出身地が智頭町。ユリさんは二人姉妹でお姉さんの万里さんは、ロシア語同時通訳でありエッセイストでもあり、小説家でもあった。
万里さんは、ことばの万華鏡のような人だったので出かけてみたい気分。
詳しくは、智頭町のホームページ→http://cms.sanin.jp/p/chizu/kikaku/4/
今週のしんぶん「赤旗」日曜版に、女優の有馬稲子さんが登場している。
有馬稲子といえば1960年の映画『通夜の客よりーわが愛』で佐分利信と共演。勿論原作は井上靖の『通夜の客』だ。原作では日南町の福栄が舞台になっているが、ロケは信州かどこかで行われたとのこと。井上靖は、家族を日南町に疎開させていたことから文学碑がある。
有馬稲子といえば1961年の映画『ゼロの焦点』にも登場している。原作は、松本清張で映画もテレビも幾度となくリメイクされてきた名作である。松本清張は、父峯太郎の生誕地と言うことで都合4回は日南町を訪れ、講演会も開かれたことがあり、文学碑がある。
有馬稲子といえば10年以上前から『源氏物語朗読会』を開かれている。10月には横浜市内で「若菜」(瀬戸内寂聴・訳)を朗読されるとのこと。源氏物語といえば池田亀鑑につながる。池田亀鑑は、日南町で生まれ『池田亀鑑文学碑』がある。
ということで、なんだか有馬稲子さんのお話をじっくり聞きたい気分になりました。
過日、刷り上ったばかりの歌集『たそがれ』を細川紅葉さんからいただいた。235首の歌が詠まれている。
紅葉さんが自費出版されたのは今回で第3集となる。
謹呈の添え書きに、あとがきから先に読め、と書いてあるのでそのようにした。
あとがきには、花鳥風詠は嫌いで社会詠、時事詠が好きだと認めてある。また、細川紅葉は本名であるとも。
「戦いを生きて越え来て八十を越えるなどとは思はざりけり」の紅葉さんと出会って35年になる。
昭和47年から配本された講談社の『昭和万葉集』全20巻の第17巻所収の、「植えては抜き抜きては植えし農政の過去を知りいて桑植えるなり」の歌との出会いがわたしと紅葉さんのつながりでもある。
「牛の尾の峠(たわ)の案山子に恋をして又も来て逢う円らな瞳に」 ※ 牛の尾は地名
反戦、平和、政治、農業問題などの社会詠に花を添えるようにふと安らぐ歌があったので、「あの案山子なら見たことがある」と写した。