いちめんの白

そばの花9/3

 そばの花が満開です。今年は、7/19の豪雨災害からまとまった雨も降らず、そばは順調のようです。この時期いつもそばの花を見て思うことを、町民ミュージカル「そばの花・8月十五日の学校」の上演パンフに書いたコメントの再録で伝えたい。

   『そばの花・八月十五日の学校』上演にあたって 

 大衆月刊誌『文藝春秋』が創刊1000(19944)の記念特集で、同誌への寄稿者番付表を発表したとき、東の横綱が松本清張で西が井上靖であったことに、「あっ」と驚いた。松本清張は「血縁」、井上靖は「地縁」で日南町にゆかりがあり文学碑もある。 

この作品を書こうとした直接の動機はそこから始まり、まず井上靖に光をあててみることにした。 

そして井上文学を読みすすめていくと、初期の作品の中でいちばん多く登場する風物は「星」、描く色は「白」で随所に散りばめられており、情景描写はどこの町も「星の植民地」という面白いキーワードを発見した。とすれば、軍隊経験のある氏が、不条理な日本の侵略戦争に対峙する表現として、「戦争のない平和な町」のことを「星(天体)の植民地」と暗喩せずにはいられなかったのではないか、と想像できる。 

 そんなことをモチーフに、町民ミュージカルの台本として『そばの花・ある学童疎開の子どもたち』を投稿したのは2001年。その時、9.11テロはまだ起きていなかった。 

あれから5年。『そばの花・八月十五日の学校』と改題した。 

戦後生まれの私が、21世紀は「人権」と「環境」の世紀だという朧月夜のようなぼんやりとした表現に、少しのリアリティーも感じられないのは、戦争が最大の「人権侵害」と「環境破壊」だと感じているからであり、「この戦争」が今もなお続いているからである。 

「あの戦争」も「この戦争」も不条理だ。 

ならば、いつの時代も不条理に振り回されている庶民の日常をどこまでリアルに舞台表現できるのか、と自問しながら本番を迎えた。 

              20063月 作・演出 久代安敏