主催者の一人として。
一昨年の2008年は、『源氏物語』誕生から千年だといわれて、さまざまな「千年紀」イベントが行われていたことは知っていたけれど、「あぁそうか1000年か」ぐらいにしか受け止めてはいなかったし、写本も現代語訳も54帖全巻通読したこともない。なんせ約100万字であるから原稿用紙2500枚にも及び古語も不勉強。開いては閉じ、閉じては開く源氏物語なのだった。
池田亀鑑という人物についても、私の母校の校門坂を昇ったところに「学才にあらず 閥派にあらず゛ たゞ至誠にあり」という碑文を刻んだ石碑があり、まじめに生きてゆけばきっといいことがあるにちがいない、ということだなぁと受け止めていただけのことで、スゴイスゴイと思いながらも、碑文の背景について深く学んだこともなかった。
しかし、この地に生きていて忸怩たるものを感じていたのも事実。
そこで企画されたのが今回の、もっと知りたい池田亀鑑と『源氏物語』なのだ。
池田亀鑑と源氏物語についての講演会でどれだけ人が聴きにきてくれるのだろうかという不安は杞憂だった。こんなに関心があるの?という人たちで会場は満席であった。
会場の入り口には、池田亀鑑の随筆集『花を折る』(中央公論社)を展示しました。
今回の講演会の運びとなった、国立大学法人 総合研究大学院大学 国文学研究資料館 文学形成研究系 教授の伊藤鉃也 氏にご寄贈いただいた『総研大ジャーナル』誌(PDF)なども展示しました。
池田亀鑑文学碑を守る会会長の加藤和輝さんのあいさつから始まり、
日南町長・矢田治美様にも来賓としてごあいさついただいた。
最初にお話しいただいたのは、松江高専の小川陽子先生。演題は、「池田亀鑑と後継者たち」。
小川先生は、池田亀鑑の曾孫弟子にあたるとのこと。系図にすれば、池田亀鑑→稲賀敬二(境港生まれ、旧制米子中学校の出身)→大学時代の恩師→小川先生
池田亀鑑に師事したというか私淑したというか学んだ人たちのことをリアルに語っていただいた。
あの溝口出身の大江賢次の『絶唱』について語られたときには、ほとんどココロの深いところで号泣していた。
それは、私が小学校年生の時に交通事故で高梁市のとある整骨院に入院していたときに舟木一夫が歌う日活映画『絶唱』(1966.9.17封切)の主題歌が流れていて、
「あゝ小雪歌だけ聴いて映画観ず」のことを思い出したからだ。
大江賢次の代表作『絶唱』は読んではいたが、氏が溝口尋常高等小学校時代に池田亀鑑の教え子であったことは記憶になかった。
小川陽子先生の著書は、こんなのがあります。こちら→(笠間書院)
次に、「池田亀鑑の資料収集」と題して米子高専の原 豊二(はら とよじ)氏にお話ししていただきました。原先生は、生まれも育ちも東京ですが、12年前に米子高専に赴任されてから、山陰研究センター客員研究や米子市歴史館運営委員などもされています。
池田亀鑑がどのようにして『源氏物語』の資料収集を行ったかについて詳しく話されました。ちょうどこの日の日本海新聞に、岩美町で旧家から江戸期の蔵書などが発見されたことについての先生のコメントが掲載されたことも紹介されながら、どんな古文書や史料も発見したら知らせて欲しいと述べていられました。
原先生の著書はこんなのがあります。→源氏物語と王朝文化誌史(勉誠出版、平成十八)
講演のとりは、国立大学法人 総合研究大学院大学国文学研究資料館の伊藤鉃也教授。
今回の講演会が実現できたのも伊藤鉃也さんとの出会いがあったから。
そのいきさつと講演の内容については、先生のブログをご覧いただくのがいちばんいいと思う。
参加者からの質問や意見交流の時間が少なかったのですが、それはこれからの楽しみにとっておきたいと思う。
一安心。これからもっともっと知りたくなる集いでした。