カテゴリー別アーカイブ: 文化・芸術の窓

文学するココロ

この三氏を、2時間で語り合うには時間が足りないだろう、と予想はしていたが、とりあえずの交流の場にはなった。

池田亀鑑は、1896年(明治29年)生まれで生誕114年になる。三氏のなかで唯一日南町出身である。

井上靖は、生誕103年。

松本清張は、生誕101年。

池田亀鑑文学碑の碑文は学才にあらず 閥派にあらず たゞ至誠にあり である。

尋常高等小学校卒の松本清張は、『私の物の見方考え方』という本に「わたしの人生の履歴書には、最終学歴を書く欄はない」。と書いている。

どこか似ているよなぁ、と思っていた。

井上靖文学碑の碑文には「天体の植民地」が2回使われている。さていったいその意味は?たしか『北国』という詩では、北海道・旭川のことを「星の植民地」と表現している。

井上靖は、日本ペンクラブ会長を務めていたとき世界平和アピール7人委員会の委員になっていた。

天体あるいは星(自然の美しいものたち)の植民地は、日本の植民地政策を批評した表現で、武力によらない平和と安寧を祈るような気持ちを現したものではないかと、わたしは読み取っている。

きょうはここまでにする。

池田亀鑑、井上靖、松本清張を結ぶ糸を探る

わたしも世間も選挙で目眩がするほどであるが、あす7月4日、午前10時から12時まで、日南町文化協会主催で日南町ゆかりの学者と文豪「池田亀鑑と井上靖と松本清張を語る会」が、日南町総合文化センター多目的ホールで開かれる。

三氏とも著名な人であり、日南町にゆかりがあるから興味は尽きないし、私も濫読してきた一人として参加してみようと思う。

この企画から新しい文化展望が開けてくるような気がする。

くわしいチラシは、こちら⇒(pdf )案内チラシ

池田亀鑑文学碑は、旧石見東小学校の校庭の隅にある。今年3月には、「もっと知りたい『池田亀鑑と源氏物語』」という講演会を企画したばかり。その内容は、わたしのプログと、伊藤鉄也教授のプログに詳しく書かれている。

井上靖文学碑は、氏の家族が疎開していた家の近くにある。

この「野分の館」には、井上文学に関する貴重な所蔵品も収められている。

松本清張文学碑は、氏の父、峯太郎の生誕地近くにある。

ここで詳しく述べないが、文学碑散歩に是非とも日南町を選んでいただきたいと思う。

さて、三氏を結ぶ糸は、キーワードは何か、という思索をするのもまたいいと思う。

井上靖文学碑の掃除

きのうの夕方は、井上靖文学碑や「野分の館」周辺の掃除に参加。

刈り払い機で草刈りをした。

参加者は、10名ほどでした。梅雨入り前にいっそうきれいになりました。

途中、みんなで井上靖の『通夜の客』にある、疎開街道の駱駝のこぶの山道を歩いてみました。

井上ひさし(初七日)に聞く

悼む人 どこの癌だったのですか?

井上ひさし はい(肺)

悼む人 なぜ4月9日に亡くなったのですか?だいたい4と9は死ぬ苦しむで最悪じゃないですか。

井上ひさし なんだか病院にいたらもう死ぬんじゃないかと感じたの。いやぁどうせ死ぬなら9の付く日がいいと思って家に帰ったらそのまま…

悼む人 そういえば去年(2009年6月2日)開かれた「条の会講演会」で、呼びかけ人の加藤周一さん(2008年逝去)の志を受けつぐお話しのなかでおっしゃってましたね。

井上ひさし あぁ、日本国憲法第9条の昭和9年生まれの井上ひさしです。とうとう死んだのも日本国憲法第9条の9日です。

悼む人 死ぬ日まで9にこだわらなくてもいいじゃないですか。

井上ひさし 生まれてくる日も息が切れる日も自分じゃ決められない。でもね、日本国憲法第9条を捨てたらだめだと訴え続けた戯作者が、とうとう9日に死んだ。だけど日本国憲法第9条はどんどん生かされていくんだと、そうしなければ生きている意味もないのだと記憶してほしいな。

悼む人 そういえばきょうの日本海新聞に、九条の会の呼びかけ人の一人である哲学者の梅原猛さんが、小田実氏、加藤周一氏、井上ひさし氏と9人の呼びかけ人のうち3人が亡くなって寂しくなった…憲法9条には核戦争や環境破壊の問題解決のための人類の理想が含まれている。これからは井上氏の分まで頑張らねばなるまいと書いていられましたよ。

井上ひさし そうか、じゃあもし今度「九条の会講演会・井上ひさしの志を受けついで」なんていうのが開かれたら彼、顔を出してくれますよね。どんなこと話してくれるのかなぁ、なんだか照れくさいなぁ。

悼む人 呼びかけ人の澤地久枝さんはきっとまた言うだろうな。「条の会呼びかけ人の9人(井上 ひさし(作家)梅原 猛(哲学者)大江 健三郎(作家)奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家)加藤 周一(評論家)澤地 久枝(作家)鶴見 俊輔(哲学者)三木 睦子(国連婦人会))の内3人亡くなりました。9-3=6ですが、条の会には引き算はありません。いつも足し算で行きましょう。だって条の会はこんなに全国津々浦々に広がってるのですもの」って

井上ひさし あのお話しはいいね。だってね、日本国憲法を書いた人ってほとんどご存命ではないでしょう。いいことは、いつまでも続くのです。作ったり書いたりした人が亡くなってもね、それがほんとうにいいことなのです。 

悼む人 そうそう、さっそく今夜NHK教育の「視点・論点」で大妻女子大学教授の今村忠純さんが「井上ひさしの宇宙」と題してお話しされるそうですよ。

井上ひさし  「視点論点」かぁ、どーも君は、言葉が難しいね。「見方と考え方」ぐらいがいいと思うのだけど…
悼む人 むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」ですね。きょうは初七日でお忙しいところ、ありがとうございました。
井上ひさし 初七日なんてどうでもいいから、ぼくのお芝居 「こまつ座」みたり、最近、白水社から出した『井上ひさし全選評』なんか読んでくれたらいいな。

鳥の劇場から

鳥の劇場」に都合15回出かけている。わたしの演劇的よりどころがこの劇場にはある。

旧鹿野町の小学校と幼稚園の廃校舎を活用しての自立劇団。

まぁ、周辺の景色もいい。城下町のたたずまいが残っている。

ついつい中島さんの表彰状をパチリ。

これからの活躍に期待する。わたしもドンドン足を運ぶだろう。

「第11回紫式部学術賞」に小川陽子さん

感動の「もっと知りたい池田亀鑑と『源氏物語』」の講演会(3月13日)から一週間も経たない。

その講師にお願いした3人の研究者のお一人でいられる小川陽子さんが、「第11回紫式部学術賞」を受賞されることになったとのこと。

受賞対象は、『『源氏物語』享受史の研究』2009年、笠間書院

3月13日の講演会で小川先生にお話ししていただいた演題は、「池田亀鑑と後継者たち」。

初心者にもとても分かりやすいお話しで会場の参加者をグイグイと惹きこむ新鮮な力を感じたものだが、今回の受賞を機に更なるご活躍を期待しています。

もっと知りたくなった池田亀鑑と『源氏物語』

主催者の一人として。

一昨年の2008年は、『源氏物語』誕生から千年だといわれて、さまざまな「千年紀」イベントが行われていたことは知っていたけれど、「あぁそうか1000年か」ぐらいにしか受け止めてはいなかったし、写本も現代語訳も54帖全巻通読したこともない。なんせ約100万字であるから原稿用紙2500枚にも及び古語も不勉強。開いては閉じ、閉じては開く源氏物語なのだった。

池田亀鑑という人物についても、私の母校の校門坂を昇ったところに「学才にあらず 閥派にあらず゛ たゞ至誠にあり」という碑文を刻んだ石碑があり、まじめに生きてゆけばきっといいことがあるにちがいない、ということだなぁと受け止めていただけのことで、スゴイスゴイと思いながらも、碑文の背景について深く学んだこともなかった。

しかし、この地に生きていて忸怩たるものを感じていたのも事実。

そこで企画されたのが今回の、もっと知りたい池田亀鑑と『源氏物語』なのだ。

池田亀鑑と源氏物語についての講演会でどれだけ人が聴きにきてくれるのだろうかという不安は杞憂だった。こんなに関心があるの?という人たちで会場は満席であった。

会場の入り口には、池田亀鑑の随筆集『花を折る』(中央公論社)を展示しました。

今回の講演会の運びとなった、国立大学法人 総合研究大学院大学 国文学研究資料館 文学形成研究系 教授の伊藤鉃也 氏にご寄贈いただいた『総研大ジャーナル』誌(PDF)なども展示しました。

池田亀鑑文学碑を守る会会長の加藤和輝さんのあいさつから始まり、

日南町長・矢田治美様にも来賓としてごあいさついただいた。

最初にお話しいただいたのは、松江高専の小川陽子先生。演題は、「池田亀鑑と後継者たち」。

小川先生は、池田亀鑑の曾孫弟子にあたるとのこと。系図にすれば、池田亀鑑→稲賀敬二(境港生まれ、旧制米子中学校の出身)→大学時代の恩師→小川先生

池田亀鑑に師事したというか私淑したというか学んだ人たちのことをリアルに語っていただいた。

あの溝口出身の大江賢次の『絶唱』について語られたときには、ほとんどココロの深いところで号泣していた。

それは、私が小学校年生の時に交通事故で高梁市のとある整骨院に入院していたときに舟木一夫が歌う日活映画『絶唱』(1966.9.17封切)の主題歌が流れていて、

「あゝ小雪歌だけ聴いて映画観ず」のことを思い出したからだ。

大江賢次の代表作『絶唱』は読んではいたが、氏が溝口尋常高等小学校時代に池田亀鑑の教え子であったことは記憶になかった。

小川陽子先生の著書は、こんなのがあります。こちら→(笠間書院)

次に、「池田亀鑑の資料収集」と題して米子高専の原 豊二(はら とよじ)氏にお話ししていただきました。原先生は、生まれも育ちも東京ですが、12年前に米子高専に赴任されてから、山陰研究センター客員研究や米子市歴史館運営委員などもされています。

池田亀鑑がどのようにして『源氏物語』の資料収集を行ったかについて詳しく話されました。ちょうどこの日の日本海新聞に、岩美町で旧家から江戸期の蔵書などが発見されたことについての先生のコメントが掲載されたことも紹介されながら、どんな古文書や史料も発見したら知らせて欲しいと述べていられました。

原先生の著書はこんなのがあります。→源氏物語と王朝文化誌史(勉誠出版、平成十八)

講演のとりは、国立大学法人 総合研究大学院大学国文学研究資料館の伊藤鉃也教授。

今回の講演会が実現できたのも伊藤鉃也さんとの出会いがあったから。

そのいきさつと講演の内容については、先生のブログをご覧いただくのがいちばんいいと思う。

参加者からの質問や意見交流の時間が少なかったのですが、それはこれからの楽しみにとっておきたいと思う。

一安心。これからもっともっと知りたくなる集いでした。

池田亀鑑と「源氏物語」の日

きょうは終日、池田亀鑑と「源氏物語」の日になる。

「源氏物語」の翻訳言語は、世界23種類という。これだけ世界で読みつがれている平安古典文学もまた稀有だろう。

池田亀鑑のことも源氏物語のことも知れば知るほど、次世代に伝えたいことがいっぱいあると思う。

池田亀鑑生誕の地で、学究の初心を学ぶことになるような気がする。

2010.3.13池田亀鑑講演会当日パンフ(PDF)

「鳥の劇場」は、表現の学校

間断なく上演をつづける「鳥の劇場」。

鳥取市と合併した旧鹿野町の小学校の廃校舎をうまく利用して演劇活動をつづけている。体育館は、劇場に。

その「鳥の劇場」が今回上演するのは、『戦場のピクニック』で、一般市民の方と劇団員との共演とのこと。

また、鳥取県立公文書館県史編さん室が公募した手記、『新鳥取県史 手記編 孫や子に伝えたい戦争体験』の朗読もあるらしい。

是非多くの方に足を運んでもらいたい、と願っている。