カテゴリー別アーカイブ: わたしの花言葉

そばの花・夏から秋へ

08.9.7 そばの花

水田の転作でそばを蒔くようになって10年ぐらいになる。「○○そば」で日本全国どこでもそれぞれの町で食べられるのだがわたしの町にもそばの専門店(日南町下石見)がある。また、町内の食堂では手打ちそばがメニューになっているところも多い。

08.9.7 そばの花

ヤマボウシ

P1010040.jpg

夏の雪花、ヤマボウシ。ボタン雪をかぶったようでとてもきれいです。P1010043.jpg

足元には、山イチゴ(おおかわいちご)の実がとてもおいしそうになっていた。こどものころよく食べていたものだ。

水仙

3.28撮影

3.28撮影

春風に水仙の黄色い花がうきうきと咲き始めた。「幸福の黄色いハンカチ」という映画があったように黄色は幸いの色に使われる。ほんとうの幸いを求め続けた宮沢賢治の作品『雪渡り』でもキツネの紺三郎さんが、水仙の花を胸に挿し、子どもたちに「正しいと思う道をまっすぐに進んで幸せになってください」というくだりがある。

冷たい政治に春を呼ぶ  これがわたしの仕事です。

ムラサキシキブ

ムラサキシキブ 10/13

この花の名がなぜ「源氏物語」の紫式部(ムラサキシキブ)なのかは、よく分からない。

「源氏物語」といえば、近世国文学者池田亀鑑による研究がよく知られているが、わたしの家のすぐ近くに氏の生誕の碑(日南町神戸上)がある。石見東小学校の「池田亀鑑」の碑 12345.jpg

そして、私の母校である石見東小学校には、「学才にあらず 閥派にあらず ただ至誠にあり」の石碑がある。 私は、この言葉をいつも心にしまっている。

でも私にとってのムラサキシキブは、初恋の花であり果実だ。

いちめんの白

そばの花9/3

 そばの花が満開です。今年は、7/19の豪雨災害からまとまった雨も降らず、そばは順調のようです。この時期いつもそばの花を見て思うことを、町民ミュージカル「そばの花・8月十五日の学校」の上演パンフに書いたコメントの再録で伝えたい。

   『そばの花・八月十五日の学校』上演にあたって 

 大衆月刊誌『文藝春秋』が創刊1000(19944)の記念特集で、同誌への寄稿者番付表を発表したとき、東の横綱が松本清張で西が井上靖であったことに、「あっ」と驚いた。松本清張は「血縁」、井上靖は「地縁」で日南町にゆかりがあり文学碑もある。 

この作品を書こうとした直接の動機はそこから始まり、まず井上靖に光をあててみることにした。 

そして井上文学を読みすすめていくと、初期の作品の中でいちばん多く登場する風物は「星」、描く色は「白」で随所に散りばめられており、情景描写はどこの町も「星の植民地」という面白いキーワードを発見した。とすれば、軍隊経験のある氏が、不条理な日本の侵略戦争に対峙する表現として、「戦争のない平和な町」のことを「星(天体)の植民地」と暗喩せずにはいられなかったのではないか、と想像できる。 

 そんなことをモチーフに、町民ミュージカルの台本として『そばの花・ある学童疎開の子どもたち』を投稿したのは2001年。その時、9.11テロはまだ起きていなかった。 

あれから5年。『そばの花・八月十五日の学校』と改題した。 

戦後生まれの私が、21世紀は「人権」と「環境」の世紀だという朧月夜のようなぼんやりとした表現に、少しのリアリティーも感じられないのは、戦争が最大の「人権侵害」と「環境破壊」だと感じているからであり、「この戦争」が今もなお続いているからである。 

「あの戦争」も「この戦争」も不条理だ。 

ならば、いつの時代も不条理に振り回されている庶民の日常をどこまでリアルに舞台表現できるのか、と自問しながら本番を迎えた。 

              20063月 作・演出 久代安敏