丘の上の仮設住宅


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国内外からさまざまな東日本大震災の救援活動が行われていますが、わたしも5月29日から6月3日まで、岩手県宮古市に出かけました。

日本共産党鳥取県委員会の宣伝カーに、白米150キロ、食器類を詰めたダンボール、ジャガイモ・たまねぎなどの野菜、炊飯ジャー、ジャージなどの衣類、ヤカンに鍋などを満載して、4人で出かけました。

早く現地に着きたいと、はやってはみても、最短時間のルートで片道1350キロ、約20時間はかかります。折りしも台風2号の風雨で車が風に揺られてとても運転しにくかった。

約20時間で、日本共産党宮古地区委員会に到着。支援活動の打ち合わせをして、

JR山田線の磯鶏駅前の

ペンション「日昇館」に宿を取ることになった。

震災でズタズタになり、山田線の列車は走れない。錆びたレールも痛々しい。

わたしたちは、急ピッチで建設されている仮設住宅への入居が始まった被災者を訪問して、要望を聞き取るとともに、いますぐ必要な救援物資を届ける活動を始める。

米と、3合炊きの炊飯器はすぐになくなる。盆もスプーンもナイフもフォークも取り皿も…。

仮設住宅は、学校の校庭や公園に建てられていて、海が見える小高い丘の上にある。

不帰の客となられた夫のことを偲ぶように、仮設の前庭で海を見ながら立ち尽くしていられた女性と対話していたら、わたしも海を見て、「ご主人の分まで生きてください」と、言葉を呑みこんでいた。

明るく元気に活動しようと心に決めてはいたものの、あまりの惨状についつい暗くなる。

現地での支援活動は、実質2日間だけになり、復路は大槌町から釜石、陸前高田を経由しての帰宅となった。

救援も復興も政治が被災者の声をどう実現するのかが、いちばんの大問題だと痛感した日々でした。

丘の上の仮設住宅」への1件のフィードバック

  1. yonago2

    おかえりなさい! 被災地でのボランティア活動、ご苦労様でした。早く疲れを癒して、6月議会に向かってください。

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