「同和研修」で、こころの教育?

おととい町の職域同和研修にでかけてみた。いつも議会で同和事業の終結を提案しているので、現場での「研修」がどんな内容なのか、またみんなどう考えているのか対話してみたかったからだ。

最初にビデオ映像により問題提起する。そしてグループでそれを観た感想を語り合うという運び。

ビデオの内容に意義あり!だった。だって、「あなたにとって身近な人権問題とはなんですか?」と問われた女性が、「男女差別や、障害者差別です」と答えたら、「なぜあなたにとって同和問題や、部落差別が人権問題にならないのですか?関心がないのですか?」と再質問され、部落差別に関心がないことを否定されるからである。

これって、「部落差別をはじめとするあらゆる差別の解消のために」という日南町の人権条例そのもので、どうみてもおかしいのだ。

グループ討議では、「部落差別は、目に見えない差別意識だから怖いのだ」という意見があり、こころの問題になってしまっている。

この考え方には人を疑ってかかる発想がある。つまり部落出身者以外は、差別者になるという前提だ。そんなこころの教育は、どうみてもおかしい。

やっぱり教育は信頼の上にしかなりたたない。そんな会でした。