東京が、いちばん遠くに感じた朝

2020年オリンピックの開催都市が東京に決まった朝、

「そうか東京か、56年ぶりなんだ」と、小学校3年生の頃のことを思い出していた。

1964年の東京オリンピックの時には、わたしの家にテレビは無く、向こう隣の家で子どもたちが集まって観戦しながら、「ぼくも大きくなったらオリンピック選手になりたい」とまじめに考えたこともあったが、振り返ればほんの一瞬だったような気がする。

今から49年前のことだけど、東京に強くあこがれもしたが、とうとう一度も暮らすことは無かった。

さてさて、ゆうべのIOC総会での東京のプレゼンテーションを見て、日本国民でありながら、東京がマドリードよりイスタンブールよりいちばん遠くに感じられたことがみっつあった。

ひとつ目は、4500億円の財政力が都民・国民の負担増でまかなわれているということ。

ふたつ目は、抜群の環境と治安のよさというけれど、自殺者は多く詐欺商法やブラック企業に苦しめられ、人目に付くゴミは無いが見えない核のゴミがあるということ。

みっつ目は、福島原発は完全にコントロールされているという安倍総理の虚言。

これから7年間、カウントダウンの映像や紙面が洪水のように流れてくるであろうが、プレゼンでことさら強調されていた「日本人のおもてなしのこころ」が、「オールジャパン」の名の下に決して強制されないことと、「そもそもオリンピックとは何だ」ということをしっかり考える期間にしたいし、「オリンピック、東京に決まってよかったね」と言う日が来るだろうかと、一人ごちた。