きょうは、岡山で笠木透の元気な姿を見て安心した。
今年1月に病に倒れたとの報道があったので心配していたのだけれど、憲法9条を守る歌は生き生きとしていたから安心した。
ツイッターを始めて3年ちょっとなのだが、昨日の参院予算委員会での日本共産党・小池晃議員の質問のことをつぶやいたら今日までにリツイ―トが300とかお気に入りが80とかでなんでだろうといろいろ考えながらNHKのテレビ中継の写真をよく見ていたら、片山さつき議員の後ろで「ぐわーっ」と寝ているように見える議員と小池さんの『集団的自衛権の行使とは自衛隊員が海外で殺し殺されることではないか何故総理ははっきりと言わないのか』という真剣な質問とのギャップが今の政治の瞬間を映し出しているのではないかと感じた次第です。
ちなみにそのことをUPしたわたしの久代安敏のツイッター
昨年2013年10月1日に刊行された、足羽隆氏(日南町霞)の『松本清張と日南町』(非売品)について、
「池田亀鑑賞」の選考委員長の伊藤鉄也先生が詳しくブログに書いていられる。こちら⇒http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2014/07/post-92b6.html
タイトルのとおり、松本清張と日南町の関係について知るには格好の著作である。
わたしも昨年、この著作の出版を祝う会に参加させていただいた。
清張の『田舎医師』のモデルは、清張と二従兄弟の医師・田中正慶氏であり、氏が1929年(昭和四年)に母校にグランドピアノ(フッペル社)を寄贈していたことから、わたしも、戦争をテーマに『音の階に生かされて、八月』あるいは『八月の青空』などという作品を書いて芝居を演じたりもしている。
池田亀鑑や井上靖や松本清張の文学碑を守るということは、それぞれの文学を研究し深めながら共鳴やら検証を繰り返すことにおいて生かされるのだと、もっと文学を語るんだと、この地に生きて思う日々なのだ。
笠木透さんも70超えてるよなぁ…。
「横井久美子inひの」とか「笠木 透inひの」のコンサートを主催して、その前座でギター片手に歌っていたのが、そもそも私の歌づくりの本格的な始まりであったから、ふたりが一緒にコンサートを東京で開かれるという記事を読んで、「横井久美子事務所」のHPにアクセスしたらチラシが載っていた。
私は、議会の所要のため参加できないが、是非とも多くの人に出かけていただきたいとの思いでブログに書いてみた。
ただし、東京新聞の記事で話題になり、予約チケットが完売寸前だとも。
人は、いい舞台やいい本やいい映画やいい旅やいい出会い、もちろん平和であってこそのために働いているのだと思うから…。
去る6月2日から4日まで、日南町議会は全議員で沖縄県に行政調査に出かけた。
私も行政調査特別委員会の副委員長として、「是非とも沖縄に」と提案した。
それは、来年戦後70年の節目であるし渦中の「集団的自衛権」なる憲法解釈の変更問題や、在日米軍とその周辺で暮らす人たちの実態を知るのには、沖縄がいちばんいいと考えたからである。
米子からスカイマークの那覇直行便ができたので、午前中には沖縄に着くという便利さもある。
宜野湾市の普天間基地にはオスプレイが配備されている。
ちょうど昼食の時間帯だったので離着陸するところは見なかったが、5月23日には在日米軍岩国基地にも3機飛来している。
その岩国基地は、低空飛行訓練が常態化し、爆音被害を続けており、低空飛行「ブラウン・エリア567」監視隊では監視活動を行っている。
宜野湾市の市役所には、「反核・軍縮平和宣言都市」の看板が。
そういえば、4年前の沖縄知事選の出馬された伊波洋一さんもかつて市長だったのだが、今は佐喜眞市長に変わっている。
そもそも沖縄の米軍基地は、戦時下での私有財産没収を禁じた国際条約「ハーグ陸戦法規」に違反して強奪接収されたものである。
沖縄に駐留する海兵隊はアフガン、イラクへの侵略戦争に参加した殴り込み部隊であり「抑止力にならないことは沖縄の人たちは分かっている。
国土の0・6%しかない沖縄に国内の米軍専用基地の74%が集中し、墜落事故や騒音、米兵犯罪などが県民を苦しめている沖縄にとって、「世界一危険」な普天間基地を辺野古など県内に移設しても、県民の安全は守られず、普天間基地に本格的に配備されたオスプレイが、県民をさらに苦しめるのは明白だ。
埋め立てや基地建設が海洋を破壊し、希少なジュゴンやウミガメなどの生育環境を脅かすことも重大です。県民を苦しめ、自然を破壊する新基地建設の企ては絶対に許されない。
6月3日、名護市役所を訪問する前に辺野古にある米軍基地キャンプシュワブと、あらたな基地を作ろうとしている辺野古の海を視察した。
初めて訪れた名護市役所は、若い職員さんも多く基地問題とは裏腹に不思議な明るさを感じた。
名護市では、おもに平和学習について聞き取りを行う。
稲嶺市長は、今回の行政調査に同行された増原日南町長や村上議長の表敬訪問を市長室で受けられ、先に訪米して基地問題を訴えられたことについて話された。
沖縄の地上戦についてしっかり刻まれた沖縄県平和祈念資料館と平和の礎を視察。
もうすぐ6月23日の「慰霊の日」がやってくる。
実は、終戦の年のこの日に神戸市の御影第一第二の国民学校の子供たちが空襲から逃れるために学童集団疎開で日南町の上石見駅に降り立っているのだから、なんともやるせない。
ガジュマルの木を見ると、井上ひさしの遺作「木の上の軍隊」につながる。
沖縄を知るには2泊3日はあまりにも短すぎたが、あらためて基地がなくなればどれだけ平和で豊かなくらしが広がるだろうかと青い海と空を見ながら痛感した。
日南町に、文豪松本清張の文学碑が建立(1984年4月)されてからちょうど30年となる今年、
国道の拡張工事が完成したことから、清張公園の改修工事が2014年度予算に計上されている。
そのことから、あれこれ清張さんのことについて小説やエッセイなどを読み直しているのだが、あまりに膨大すぎるのでとりあえず、1966年(昭和41年7月)に日南町中央公民館の落成記念講演会で来町された際に書かれた「日南の山ふところは記紀の國」のことにまつわる作品から始めることにした。
というのも、おととし2012年は古典籍『古事記』編纂1300年で大フィーバーだったし、やがて『日本書紀』が6年後に、これまた編纂1300年の大騒ぎとなるであろうから、記と紀の間に清張さんの書かれた「日南の山ふところは記紀の國」について歴史を振り返ってみようというものである。
ただし私の読書ノートは、あたらしいお芝居の戯曲として著したいのであるが、閑話休題。
清張さーん、「幼き日 夜ごと父の手枕で聞きし その郷里 矢戸 いまわが目の前に在り」の石碑が少しだけ動きます。